舘ひろしさん(60)と>余貴美子さん(54)が輝き続けるエイジレスな著名人として「アンチエイジング大賞2010」を受賞

 輝き続けるエイジレスな著名人を表彰する「第4回アンチエイジング大賞2010」の授賞式が14日、東京・大手町のサンケイプラザで開かれ、俳優の舘ひろしさん(60)と余貴美子さん(54)が受賞した=写真。



 NPO法人アンチエイジングネットワーク」がアンファー(東京都中央区)の協賛で毎年11月14日(いいとし)に開いているもの。



 授賞式で記念のトロフィーを受けた舘さんは「今日のワイシャツは約30年前と同じ型のもの。年を取ると下半身が弱くなるので週に1、2度のゴルフと乗馬は欠かしません」と若さの秘訣を披露。



 余さんも「無理をしない、ストレスをためない。ゆるやかで自分なりのやり方で健康を保ち続けていくのがアンチエイジングだと思う。私は散歩と逆立ち」などと話した。


★余 貴美子 よ きみこ



生年月日 1956年5月12日(54歳)

出生地 日本・神奈川県横浜市中区

国籍 日本

血液型 B

職業 俳優

ジャンル 映画、ドラマ、舞台

主な作品

映画

『学校』

ホテル・ハイビスカス

おくりびと

ディア・ドクター

受賞

日本アカデミー賞

優秀助演女優賞

『学校』

最優秀助演女優賞

おくりびと

最優秀助演女優賞

『ディア・ドクター』

ブルーリボン賞

助演女優賞

『学校』

その他の賞

毎日映画コンクール女優助演賞

ギャラクシー賞個人賞

ヨコハマ映画祭助演女優賞

高崎映画祭最優秀助演女優賞

余 貴美子(よ きみこ、1956年5月12日 - )は、日本の女優。神奈川県横浜市中区出身(東京都や神戸市にも一時期暮らしていた)。所属事務所はアルファーエージェンシー。血液型はB型。父親は台湾人、母親は日本人。趣味は民謡三線タップ。好物は塩むすび范文雀は従姉にあたる。2006年3月に2歳年下のNHK美術スタッフと結婚。


来歴・人物

神奈川学園中学校・高等学校卒。

1976年から1984年までオンシアター自由劇場に所属(代表作は『上海バンスキング』のリリー役)。

1986年に大谷亮介らと東京壱組を旗揚げする。原田宗典の戯曲を中心に解散まで14公演を公演。その後は活躍の場をテレビや映画に移す。

『学校III』などでブルーリボン賞助演女優賞毎日映画コンクール女優助演賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

1999年度には『兄弟』などでギャラクシー賞個人賞を受賞。

2003年度には『ホテル・ハイビスカス』などでヨコハマ映画祭助演女優賞、高崎映画祭最優秀助演女優賞を受賞。

2008年度には『おくりびと』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。

2009年度には『ディア・ドクター』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。

日本アカデミー賞最優秀賞の2年連続受賞は第4・5回主演男優高倉健、第20・21回主演男優役所広司、第6・7回助演男優風間杜夫、第19・20回助演男優竹中直人、第5・6回主演女優松坂慶子以来で史上6人目の快挙である。

また、『ちゅらさん』での池端容子役のような陽気な女性・『大奥〜華の乱〜』での音羽役のようなナレーションとの兼任・『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』での森川八重子役のような影のある不幸な女性役まで、ありとあらゆる中年女性役を器用にこなせる。

かなりの酒豪で「二日酔いの感覚が分らない」というほど強い。打ち上げで「美人演技派女優」と自身を紹介された際には「いえ、私は美人演技派女優ではなく美人女優です」とサラっと言い爆笑を誘うなど、明るくさばさばした性格で姉御的存在。

若い頃は横浜で「ハママリア」と呼ばれテーマソングまであった。

死ぬ間際に一つだけ食べたいものがあるとするなら「おむすび」と答える。

甲斐バンドのLP 『虜-TORIKO-』(1982年発売オリコン最高位2位)のジャケット,レーベル,ピンナップのモデルは彼女である。(観覧車‘82のPVにも出演)

教師役を演じることも多い。『白線流し』(フジテレビ)では、主人公が通う「松本北高校」の担任教師役、映画『さよなら、クロ』はクロが住み着いた「秋津高校」の養護教諭役を演じた。ちなみに、ドラマの舞台はどちらも長野松本市であった。

森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のテレフォンショッキングゲストで出演した時にタモリが名前を見て「余貴 美子(よき よしこ)だと思った」と言った事がある。

2009年2月23日(日本時間)、ハリウッドにあるコダック・シアターで開催された第81回アカデミー賞授賞式で、『おくりびと』が日本映画で初めて外国語映画賞を受賞。余も渡米して授賞式に出席し、滝田洋二郎監督、共演の本木雅弘広末涼子らと共に壇上に立ち、喜びを分かち合った。プレゼンターはリーアム・ニーソンフリーダピントで、彼らとも握手を交わした。21日に日本を出発し、25日に帰国