月組トップスター瀬奈じゅん、「いま、とても幸せな気持ちです」と宝塚退団の心情を語った。

退団を発表していた宝塚歌劇団月組トップスター、瀬奈じゅんが27日夜、タカラヅカ生活最後の舞台となる東京公演の千秋楽を迎えた。




 この日は「ラスト プレイ〜祈りのように〜」「Heat on Beat!」公演に続き、退団者による特別な出し物であるサヨナラショーを披露。「ME AND MY GIRL」からの「ランベスウォーク」では、にぎやかに客席を練り歩いた。



 舞台挨拶では黒燕尾姿で大階段を降り、「さまざまな役をいただいたが、タカラヅカの男役こそが、私のやりたかった役。いまこの瞬間を、勇気に変えて新しい世界に踏みだします。愛を込めて、18年間ありがとうございました」と頭を下げた。



 その後、東京宝塚劇場(東京都千代田区)内で記者会見し、「いま、とても幸せな気持ちです」と心情を語った。



 会見で瀬奈は、退団後については未定としながらも、「これまで身につけたものを生かしたい」と、芸能活動に意欲を示した。タカラヅカから、もって行きたいものは? という質問には「愛」と答えて大きくうなずいた。



 その後、タカラジェンヌ正装である緑のはかま姿で劇場前をパレード。駆けつけた約8000人のファンが「愛してます」とエールを送ると「私も愛してます」と大きな声でこたえ、足かけ18年のタカラヅカ生活に別れを告げた。



 瀬奈のほかに遼河はるひ音姫すなお、城咲あい、麻月れんか、羽桜しずく、夏鳳しおり、麗百愛も退団。 


★瀬奈 じゅん(せな じゅん、4月1日 - )は、宝塚歌劇団月組男役トップスター。



東京都杉並区出身、出身校は東京文化高等学校。血液型AB型。愛称は「あさこ(本名から)」。78期生。



公称身長168cm。芸名の由来はF1ドライバーアイルトン・セナから[1]。



略歴

3歳のとき車のタイヤ接触してアキレス腱を断裂。治癒した際、医師から再発予防のために運動をすすめられ、母親がバレエ好きだったことから幼稚園の年中組よりバレエを始める。

月組副組長の有明淳が母親の高校時代の同級生だったため、小学生のころから月組公演だけはよく観劇していた。

バレエに打ち込んでいた中学生の時、背が伸びすぎたため所属教室の宝塚受験クラスに教室サイドの反対を押し切って転属し、1990年に宝塚音楽学校へ入学を果たす。

1992年、78期生として宝塚歌劇団に入団。「この恋は雲の涯まで」で初舞台。翌年、花組に配属。

1998年、「SPEAK EASY」で新人公演初主演。

2001年、「マノン」でバウホール公演初主演。同年、匠ひびき花組主演男役昇格に伴い、花組男役3番手となる。

2002年、日生劇場公演「風と共に去りぬ」でスカーレットを演じ、初の女役をつとめる。一方で「琥珀色の雨にぬれて」東京公演では、匠が病気で休演したことにより、準主役・ルイを演じる。匠退団後、後継男役トップスターの春野寿美礼に次ぐ2番手となる。

2004年、宝塚歌劇団90周年特別企画の一環として、月組飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II」に特別出演。同年秋、月組生と共に自身初のコンサートSENA!」を東京・大阪・名古屋の3都市で開催。その後、12月16日に月組次期男役トップスターに内定し、12月17日付け月組に組替えとなる。

2005年、彩輝直の退団公演である「エリザベート」でヒロインエリザベート役を演じ、再びの女役。同年、彩輝の退団に伴い、月組男役トップスターに就任。相手役に宙組から、かつて花組で共演した彩乃かなみを迎える。本拠地でのお披露目に先立ち、7月に梅田芸術劇場「Ernest in Love」を上演後、10月にか「JAZZYな妖精たち」で宝塚大劇場お披露目。

2006年、雪組公演「ベルサイユのばら」にアンドレ役で特別出演。

2007年、写真集「Viento espanol」を発売。4月に写真集と同じスペインテーマにしたディナーショー「EL VIENTO」を開催。