森高千里、「ペコちゃんの歌」11年ぶり歌手復帰「1男1女の母となった私がオバさんになっても」17歳なの?

森高、11年ぶり歌手復帰「ペコちゃんの歌」

 不二家は12日、同社の創業100周年と、マスコットキャラクター「ペコちゃん」の誕生60周年の一環で、「ペコちゃんの歌」を作成すると発表した。歌手には「家庭的なイメージで憧れの母親として支持が高い」(同社)、森高千里(41)を起用する。



 「ペコちゃんの歌」の詳細は、8月末に発表する。不二家によると、森高は1999年以来、約11年ぶりの歌手「復帰」で、久石譲さんが作曲を担当する。



 同社は、ペコちゃんの歌について、「楽しい雰囲気の曲に仕上がる見通し」とPR。新曲として発売するかどうかは、「現在検討中」としている。

「私がオバさんになっても」森高千里 Youtube


森高 千里(もりたか ちさと、1969年4月11日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ドラマーである。本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高)。実父はロカビリーバンドで活動していた森高茂一、夫は俳優の江口洋介



経歴

1969年、大阪府茨木市に生まれる。幼少時に一家で熊本県熊本市に移る。九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。九州女学院中退し、堀越学園編入する。



1980年代

1987年春、東宝映画あいつに恋して』にヒロイン松前千里役で出演、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」でデビュー(映画の公開は5月30日)。当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っていたが、同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになる。



1988年、アルバム『ザ・ミーハー』のタイトルトラック「ミーハー」で初めて作詞を手掛け、斬新な歌詞が話題になる。同年夏、ツアーリハーサル中に腹痛で1週間の入院生活を余儀なくされ、それを機に女優・タレント業との並行活動を断念し、歌手活動に専念することになった。この時期の入院体験をもとに「ザ・ストレス」を書き、歌詞のユニークさを注目されて以降、ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになる。また同作のPVで、森高千里の代名詞となる「コスプレ」が初登場。



1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒットし、一躍人気ミュージシャンとなる。『非実力派宣言』『古今東西』などの作品で作詞のセンスが高く評価されるようになるが、その一方で、超ミニのウェイトレス姿や総スパンコールの衣装などのコスプレでライブを行い、時には意図的にパンチラを見せ[1]、コアな男性ファンを大量に獲得することになった。



1990年代

1992年のアルバム『ROCK ALIVE』からの再シングルカットとなる「私がオバさんになっても」のヒットで女性ファンの心を掴み、『ROCK ALIVE』ツアー[2]では、コンサート会場で森高と同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られた。同年11月のアルバム『ペパーランド』からは大半の曲で自ら楽器演奏(ギター・ベース・ピアノドラム等)をするようになり、それまでの打ち込み主体のサウンドから生音主体のサウンドへと路線の転換を図った。



1993年のシングル「渡良瀬橋」「風に吹かれて」のヒットでその路線を確立するが、1994年、顎関節症のため予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間のコンサート休業を余儀なくされた。この間、ミュージックステーション上で病状をファンに報告して話題になった。ツアーが出来ない時期には子供番組で「ロックン・オムレツ」を披露してファン層の拡大に努めたり、凝ったPVを作ったり、チャリティライブに参加したりと多彩な活動を行なった。1997年、1998年にはローソンのCMシリーズで細野晴臣と夫婦役で共演し、のちにコラボレーション・アルバム『今年の夏はモアベター』を発表。



1999年6月3日、1995年から交際を続けていた俳優の江口洋介と入籍した[3]。2000年2月に長女、2002年5月に長男を出産。1999年末に産休に入ってからは育児に専念するため、歌手活動はほぼ休業状態にある[4]。



上記の様に自身の楽曲で自ら楽器演奏を行っているが、1998年に発売された泉谷しげるのアルバム「私には夢がある」でドラマーとして参加する等、他のアーティストの作品に参加する事も少なくない。



2000年代

1男1女の母となった森高は、子育てを中心に雑誌の連載、ベストアルバムレコーディングやCM出演などの活動をしている。また、2005年に発売されたテイ・トウワのアルバム『FLASH』にドラマーとして参加するなど、単発的ではあるが子育てに支障のない限り、ミュージシャンとしての活動も行っている。



2007年5月、自身のヒット曲渡良瀬橋」の歌碑足利市にある渡良瀬橋のそばに完成。また同月には日産・ラフェスタCFソングが発表された。



2008年12月6日、事務所の後輩であるシャ乱Q結成20周年記念「ハタチシャ乱Qみんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル〜長いよ〜」にゲスト出演し、9年ぶりに公の場で「渡良瀬橋」(キーボード弾き語りで披露)と「気分爽快」の2曲を歌った。



2009年4月24日放送の僕らの音楽フジテレビ)にて、親交のある渡瀬マキと対談をし、10年ぶりのテレビ出演となる。



2009年11月20日放送のミュージックステーションテレビ朝日)では稲垣潤一と「雨」をデュエットで披露し、同番組に10年ぶりの出演を果たした。また、12月2日のFNS歌謡祭(フジテレビ)にも出演し、稲垣とのデュエットだけではなく13年ぶりに「渡良瀬橋」を披露した。



ハウス「ジャワカレー」のCM(2004年-2008年)では夫・江口洋介と共演していた。



2010年代

NPO法人 日本マザーズ協会 第3回ベストマザー賞2010(音楽部門)受賞。