辻元氏の離党表明で、参院選で敗北した福島党首の責任問題が再燃、社民党は再び分裂の危機

 辻元氏の離党表明で、参院選で敗北した福島党首の責任問題が再燃する可能性が出てきた。「政権運営は大変なことだと実感した」とする辻元氏。護憲や米軍普天間飛行場移設問題で原則論ばかり唱える福島氏執行部に見切りをつけた離脱劇に、理解を示す議員も少なくない。社民党は再び分裂の危機に直面している。



 「本当に残念だ。これはやはり打撃ですよね」



 福島氏は27日夕、辻元氏の離党表明を受けて、こう感想を漏らした。



 辻元氏が26日夜、重野幹事長に離党の意向を伝えると、福島氏は27日午前、都内の議員宿舎に辻元氏を呼んだ。「無所属では活動はできない。社民党の支援はもらえない」。そう説得するが、辻元氏の返事は同じだった。



 実は辻元氏の方が、数日前から福島氏に面会を求めていた。だが福島氏は「気管支炎みたいになって体調がよくなかった」と面会に応じず、これが決断につながったとの見方がある。



 当面、辻元氏に同調する動きはなさそうだが、福島氏ら「原則論者」と辻元氏ら「現実論者」の対立は表面化しつつある。



 5月末。普天間問題で連立離脱を決断した福島氏に辻元氏は強く反発。聞き入れられないと分かると「きれいごとばかり言って」と周囲に不満を爆発させた。

 「総理、総理」で有名になったスタンドプレーを封印し、国土交通省で現実政治に没頭した辻元氏と、妥協を許さない福島氏の溝は決して埋まらなかった。



 議員の一人は「女性同士は反発するものがあるんだろうな」とぼやく。



 党幹部は「人心一新が必要だ」と指摘。別の幹部も「本来なら党首が辞めるべきだ」と周囲に語り始めた。社民党の次なる危機が迫ってきた。



 社民党は結党以来、衰退を続けている。



 平成8年、当時の村山富市首相が退陣し、党名を社会党から社民党に変更。民主党参加組と残留組が事実上分裂状態になって衰退は加速した。土井たか子党首のもとで「護憲色」は鮮明になり、福島氏もこの路線を進めた。



 連立離脱後の今月の参院選は「選挙区3、比例代表3」を目標にしたが、得たのは比例代表の2議席のみ。党常任幹事会では「長期低落から逃れられない」と悲鳴が上がった。



 福島氏は27日、記者団に責任を問われ「元気に政策実現をやって、国民の皆さんに応える政党を作るのが責任」と述べるのが精いっぱいだった。



 一方、衆参ねじれで厳しい国会運営を強いられている民主党からは、辻元氏へのラブコールが出ている。



 前原誠司国土交通相は「無所属になられたら、まずは同じ会派一緒に仕事を」と、かつての部下の合流に期待感を示す。



 ただ、それもハードルは高い。「社民党本体にも今後の国会運営で協力してほしい。若干複雑だ」(民主党細野豪志幹事長代理)という現実を前に、辻元氏の民主党入りも簡単ではなさそうだ