感じちゃ〜う「イナバウアー」の謎{記録ではなく記憶に残る演技がしたかった。}荒川静香

フィギュアスケートグランプリ(GP)ファイナル最終日は5日、東京・国立代々木競技場で男女のフリーなどが行われた。男子は前日のショートプログラム(SP)で3位だった織田信成関大)がフリー3位となる155.71点を出し、合計243.36点で総合2位に、女子はSP首位だった安藤美姫トヨタ自動車)がフリー2位の119.74点で合計185.94点で総合2位に入った。



そして安藤美姫トヨタ自動車)が見事バンクーバー五輪の切符を獲得したのである。

今季は冷静だ。胸に抱いているのは、トリノを制した荒川静香の言葉。98年長野五輪で13位と不本意な結果に終わった荒川は、2度目の夢舞台で世界を魅了した。自らの経験を踏まえ「2回目の五輪では気持ちの持ちようとか、やるべきことが分かるよ」と当時18歳の安藤に声をかけた。「荒川さんが言っていた言葉の意味が今年、実感できる。凄くいい言葉をいただいた」。勝負の五輪シーズンという意識はあっても、過剰な意識はしない。自己満足に終わらず支えてくれるファンの存在を常に感じながら、好結果につなげている。



荒川静香の言葉」ということで思い出したことがある。



美しく、春風の中を流れるように滑るイナバウアー。競技点数としてはゼロなのに、又点数を取れる技はあるのに何故そうしなかったのであろうか。彼女がイナバウアーを演じたのは、どうしても見てほしい1シーンだったからである。彼女は女性の持つ体の美しさと柔らかさ、そして汗と涙の結晶の技であるイナバウアーを自己表現の道具であるスケートで表現し、たとえ加点はされなくても、全世界の人々に見て欲しかったのである。フィギィアスケートの楽しさ、美しさ、素晴らしさをみんなに伝えたかったのである。この時が最も自分らしい瞬間であったに違いない。彼女は金メダルを取りにトリノに行ったのではなく、オリンピックという舞台で自分を表現するために行ったのである。彼女はトリノを競技場として考えずに自己表現リンク、スケートショー会場と見ていたのである。

そしてその結果として金メダルとなったのである。

オリンピック直前に、自分で、コーチを変え、曲目を変え、点数にならないイナバウアーを演じたところに自立した一人の日本女性のすがすがしい姿が見えるのである。そういう観点から見るとイナバウアーは、彼女にとって人生のジャンプ台になったのではなかろうか。

私は彼女のイナバウアーを「静香クリスタル」と呼びたい。

荒川静香 イナバウアー youtube


上記の記事は2006年3月24日「coolboyの日記」のなかで管理人が書いた記事です

http://d.hatena.ne.jp/coolboy/20060324



そしてくしくも昨夜(12/5)GPファイナルをテレビを見ていたら 解説の荒川静香トリノ五輪の自分の演技したイナバウアーについて「記録ではなく記憶に残る演技がしたかった。」と語ったのです。

それを聞いてしびれました。鳥肌が立ちました。私が思っていたことをずばり荒川静香が語ったのです。

表現者としての荒川静香を見事に演じ切り、ゴールドメダルを獲得したのです。

人は何かを表現し、伝えたいと思っているのです。そのことを自分自身の身体とスケートという道具を使って芸術的に感動的に表現したかったのがイナバウアーだったのです。鍛え抜かれていて、しかもしなやかな身体、幾度と無く繰り返し、積み重ねてきたこの進化したワザ「イナバウアー」を見て〜と言っていたのである。そして荒川静香自身が自己実現したというわけなのです。



これが涙せずして語る事ができるでしょうか。これこそが「感じちゃ〜う」なのである。