チラリズムの快感とおもてなしのココロ

先日待ち合わせの時間にはまだ早かったのでこじんまりしたこぎれいなある喫茶店に入ってみた。白黒で統一されたモノトーンのお店だった。若い女性が注文をとりに来たのでブレンドを頼んだ。その女性はグレース・ケリー似でこれまた白い襟付きのシャツに黒のタイトスカートロングスリットが少し入っていた。ヒップラインが見事であった。セクシーの極みである。

COOL STRUTTIN' '99

COOL STRUTTIN' '99



なんと言うタイミングだろうかボーズスピーカーからソニークラークの「クールストラッティン(cool struttin')1958年1月8日録音」が流れてきたのである。



ハードバップ・クィンテッドの演奏である。感じちゃ〜う〜、そして痺れるう〜。



興味がわいたので「この曲(CD)はどなたの趣味ですか。」と聞いてみた。「お客さんの趣味に合わせてみました。」というのである。{なんと鋭い観察力なのであろうか。

客は2、3人程度だがいきなり入ってきた客の好みを察知して、

気に入りそうな音楽をかけてくれるとは、お主なかなかやるな。}と思った。



「父がこの曲好きですから」「どうもありがとう」とお礼を言った。



しばらく聞き入ってすぐに出た。会計の間際にもう一度「ありがとう。君はモデルさんみたいに綺麗だよ」といったら少し顔を赤らめて「ありがとうございます。又お寄りください」といってくれた。




なんとも楽しい時間繋ぎのひとときであった。これを「至福の時」というのであろうか。



其の後たびたび訪ねるようになり、彼女と仲良しクラブになってしまった。



(参考) ソニー・クラークの音楽としては「ソニー・クラークトリオ」「ソニー・クラークトリオ+3」等の方がより好まれるかも知れない。しかしジャケットは文句無く「COOL STRUTTIN'」が良い。
ソニー・クラーク・トリオ

ソニー・クラーク・トリオ

ソニー・クラーク・トリオ+3

ソニー・クラーク・トリオ+3

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グレースパトリシアケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日-1982年9月14日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッドスターからモナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身した。同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的に気品を湛えた美貌は「クールビューティー(cool beauty)」と賛美された。



生涯

生い立ち

1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアアイルランドカトリックの裕福な家に生まれた。父は建築業で成功した億万長者オリンピックのボート競技金メダル選手、母はドイツ系で元モデルであり大学講師だった。少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが一番不器用であったという。その一方、ダンスピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。父は一代で事業に成功したとはいえ貧困層出身であり、グレースは出自としては最下層の女性だった。



俳優活動



アカデミー授賞式 1956年ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見たスタンリー・クレイマー監督が『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。



1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。




結婚・王妃として



バラ「プランセス・ド・モナコ」(1982年)メイヤン作。彼女に献呈されることになっていたバラ(発表前に他界)。ピンクと白の2色モナコの国旗をイメージしている。カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と1956年結婚。公妃となったため女優業を引退、同年のミュージカル映画上流社会』が最後の作品となった。なお、1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している。



モナコ公妃として長女カロリーヌ、長男アルベール、次女ステファニーの一男二女をもうけた。1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないようエルメス社のバッグ「サック・ア・クロワ」でカメラから腹部を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。死後もファッションセンス、シンデレラ・ストーリーは多くの女性の憧れの的で、今も彼女を崇拝する女性は多い。



1981年(昭和56年)、来日して神戸ポートアイランド博覧会ポートピア'81)や京都を訪れて、有馬温泉老舗旅館に宿泊した。





グレース・ケリーの墓碑52歳の時モナコ高速道路ドライブ中、脳梗塞を起こして交通事故となり、意識が回復せずに翌日急死した。実際は次女ステファニー公女が運転していたとも言われているが真相は不明である。モンテ・カルロのサン・ニコル大聖堂に埋葬されている。



ポール・ギャリコの小説『トンデモネズミ大活躍』に献辞があるが、これは初めて作った陶製のネズミの置物を題材にした作品の執筆をギャリコに依頼しており、それを受けたもの。



出演作品

公開年 邦題

原題 役名 備考

1951 Fourteen Hours ルイーズアンフラー 日本未公開

1952 真昼の決闘

High Noon エイミー・フォーラー・ケイン

1953 モガンボ

Mogambo リンダ・ノードリィ ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞

アカデミー助演女優賞ノミネート

1954 ダイヤルMを廻せ!

Dial M for Murder マーゴット・メアリー・ウェンディス

裏窓

Rear Window リサキャロルフレモント

喝采

The Country Girl ジョージー・エルジン アカデミー主演女優賞受賞

ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)受賞

緑の火・エメラルド

Green Fire キャサリン・ノーランド

トコリの橋

The Bridges at Toko-Ri ナンシー・ブルーベイカー

1955 泥棒成金

To Catch a Thief フランセス・スチーブンス

1956 白鳥

The Swan アレクサンドラ

上流社会

High Society トレイシー・サマンサロード

グレース・ケリー写真集

グレース・ケリー写真集

泥棒成金 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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