高橋大輔失敗しても五輪という大舞台で銅メダル、逆境からの奇跡のカムバック歴史に名を刻む

高橋がフィギュア日本男子の歴史に新たな1ページを刻んだ。バンクーバー五輪フィギュアスケート男子フリーが行われ、SP3位だった高橋大輔(23=関大大学院)は4回転ジャンプで転倒するなどフリー5位の156・98点にとどまったが、合計247・23点で銅メダルを獲得した。8位に沈んだトリノ五輪から4年。成長したエースが、日本男子に史上初のメダルをもたらした。



 万感の思いを込めて4度、高橋が力強く両拳を天に突き上げた。自らのすべてを注ぎ込んだ4分30秒。ラストのスピンで体勢を崩しながらも気力でフィニッシュを決めると、込み上げる涙で視界がにじんだ。日本男子フィギュアにとって、悲願のメダル。「五輪という大舞台で、日本人男子で初めてメダルを獲れたというのは、自信にしたいし誇りにしたい。パーフェクトじゃなかったけど、やりきった気持ちだった」。歴史に名を刻んだ23歳は胸を張った。



 フェデリコ・フェリーニ監督の名作映画「道」のテーマ曲で、メダル・ロードを歩んだ。冒頭の4回転トーループで激しく転倒。06年トリノ五輪は大技で転倒して持ち直せなかったが、ここから4年間の成長を見せた。「気持ちを切り替えてできた。成功しても失敗しても、影響のないように練習してきた」。08年10月、着氷の際に右ひざじん帯断裂の大ケガを負ったトリプルアクセルを、得点が1・1倍になる後半に成功。5項目の演技点では全体1位となる8点台をそろえた。因縁のジャンプと持ち前の表現力で、4位・ランビエルとわずか0・51点差のメダル争いを制した。



 感謝の気持ちを演技に詰め込んだ。スケートを始めたばかりだった8歳の頃、練習していたウェルサンピア倉敷のリンクの氷が張り替えられる様子を、父・粂男さん(64)と一緒に何時間も見守った。「みんなの氷、大事にするんだよ。氷に感謝すれば、大事な時に助けてくれる」という父の言葉が感謝の原点。経済的に苦しかったのにスケートを続けさせてくれた家族、中学2年からサポートしてくれた長光コーチ、右ひざ故障からの復活を支えてくれたスタッフ…。演技終了後には大歓声で沸くスタンドに向かって「ありがとうございました」と何度も頭を下げて、その思いを伝えた。



 8位に沈んだトリノ五輪ヒロインになった荒川静香さんの金メダルを、選手村で首にかけてもらった。「他人のメダルをかけたら自分が獲れないって聞いて、すぐに外しましたけどね」。一緒に帰国し無数のフラッシュと大歓声を浴びる荒川さんを見て、うらやましく思った。悔しかった。その時、目標は決まった。「五輪で金メダルを獲る」――。



 「これ以上、何をすればいいのか分からなかった」とモチベーションが低下したこともある。08年にはライバル織田のコーチを引き受けたモロゾフ・コーチとの師弟関係を解消。手術した右ひざの厳しいリハビリから逃げ出したこともあった。それでも、この4年間、高い目標設定がぶれることは1度もなかった。



 狙っていた頂点には届かなかった。「自分の中では4回転を入れて、パーフェクトな演技することが目標だった」と話したが、悔しさをはるかに上回る達成感がある。「試合が終わるまでドキドキ感を楽しめたので、充実した五輪だった」。夢のような表彰式。ゴールドの輝きに劣らないメダルを首にさげたエースは、再び涙でほおを濡らした。


バンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得した高橋大輔選手(23)=関大大学院=ら、フィギュアスケート男子の日本勢が19日(日本時間20日)、バンクーバー市内で記者会見し、高橋選手は「まだ両親と電話でも話していない。早く日本へ戻ってメダルを見せたい」と一夜明けての喜びを語った。



 日本のフィギュア史上初の男子五輪メダルとなったが、前日のフリーの演技には不満が残っているそうで、喜びとともに「悔しさが入り交じっている」とも話した。緊張から解放された穏やかな表情で「こうしてメダルを(首に)掛けて話せることがすごくうれしい」と述べ、次の目標を問われると「まだ世界選手権のタイトルを取っていないので、そこを目指して頑張る」と答えた。



 靴ひもが切れるアクシデントで7位にとどまった織田信成選手(22)=関大=は「一晩明けて悔しい気持ち。五輪に来られたことは感謝している。経験を生かしてもう一度五輪に行きたい」と述べ、8位の小塚崇彦選手(20)=トヨタ自動車=は高橋選手の表彰式を見て「日の丸が揚がってすごくいいなと思った。4年後に高橋選手のような演技をして、表彰台に立ちたい」と話した。



 また、スピードスケート男子500メートルの銀、銅メダリスト長島圭一郎選手(27)と加藤条治選手(25)=ともに日本電産サンキョー=も記者会見。加藤選手は「次は世界で最初に33秒台を出してみたい」と次の目標を話し、長島選手は「取るまではメダルがほしくてたまらなかったが、取ってみるとそんなでもない」と言って笑わせた。