ジョン・イスナーが3日がかりとなった11時間5分のテニス史上最長試合を制すウィンブルドン
最長試合はイスナー勝つ/ウィンブルドン
テニスのウィンブルドン選手権第4日は24日、ロンドン郊外のオールイングランド・クラブで行われ、男子シングルス1回戦で3日がかりとなった11時間5分のテニス史上最長試合は第5セットの59−59で再開した後の20ゲーム目で決着し、ジョン・イスナー(米国)がニコラ・マユ(フランス)に6−4、3−6、6−7、7−6、70−68で勝った。
★ジョン・アイズナー(John Isner, 1985年4月26日 - )は、アメリカ・ノースカロライナ州グリーンズボロ出身の男子プロテニス選手。フルネームは John Robert Isner (ジョン・ロバート・アイズナー)という。ジョージア大学卒業。身長206cm、体重111kgの巨体から繰り出す高速サーブを最大の武器にする選手。これまでにATPツアーでシングルス1勝、ダブルス1勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス28位、ダブルス75位。日本語のテニス資料では「ジョン・イスナー」の表記も多い。
アイズナーは父親が建築家、母親は不動産業者という家庭に生まれ、9歳からテニスを始めた。少年時代はその長身を生かしてバスケットボールもプレーしたが、16歳でテニスに専念する。彼は2004年から2007年までジョージア大学の学生テニス選手として活動し、2007年のNCAAテニス選手権でシングルス準優勝・ダブルス優勝を成し遂げた後にプロ選手となった。同年7月の「レッグ・メイソン・テニス・クラシック」(アメリカ・ワシントンD.C.開催)で決勝に進み、同じアメリカのアンディ・ロディックに 4-6, 6-7(4-7) で敗れて準優勝になる。8月末の全米オープンで、アイズナーは主催者推薦(ワイルドカード)から3回戦に進出し、第1シードのロジャー・フェデラー(スイス)から第1セットのタイブレークを奪取した。この試合には 7-6(7-4), 2-6, 4-6, 2-6 で敗れたものの、アイズナーはアメリカ期待の新星として一躍有名になった。彼の身長(206cm)は、現在のATPツアーではイボ・カルロビッチ(クロアチア)の208cmに次ぐ2番目の長身である。
2008年の4大大会では、シングルスはすべて1回戦敗退に終わったが、全仏オープンの男子ダブルスでサム・クエリー(同じアメリカの選手)と組んだ3回戦進出があった。7月のアメリカ・ロードアイランド州ニューポート大会で、アイズナーはマーディー・フィッシュとペアを組み、男子ツアーでダブルス初優勝を挙げた。フィッシュとは2009年全豪オープンの男子ダブルス部門でもペアを組んで出場し、ベスト8進出の成績を残している。その後、アイズナーは春に患った伝染性単核球症のため、しばらくの間戦線を離脱し、全仏オープンとウィンブルドンを欠場した。
彼はそのプレースタイルから、1試合の中で多数のサービス・エースを奪っても、それを試合の勝利に結びつけられない時が多かった。その一例として、2009年全豪オープン1回戦では、ドミニク・フルバティ(スロバキア)から39本のサービスエースを奪ったが、6-7(4-7), 6-2, 2-6, 5-7のスコアで敗退した。[1] ようやく2009年の全米オープンで、アイズナーはシングルスで2年ぶりの初戦突破を果たし、3回戦で第5シードのアンディ・ロディックを破る勝利を挙げた。この試合ではアイズナーが38本のサービスエースを奪い、同じく強力サーブを最大の武器にするロディックも20本のサービスエースを放ち、両者合計で58本のサービスエースが乱れ飛ぶ戦いとなったが、最終第5セットのタイブレークの末に 7-6(7-3), 6-3, 3-6, 5-7, 7-6(7-5) のスコアでアイズナーが競り勝った。4回戦では第10シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に 6-4, 4-6, 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、アメリカからの男子シード選手だったロディック、ジェームズ・ブレーク、サム・クエリーの3人がすべて3回戦で敗退したため、アイズナーは米国男子のシングルス最高成績をマークした。
2010年に入り、アイズナーは年頭のニュージーランド・オークランド大会の決勝でアルノー・クレマン(フランス)を破り、男子ツアーでシングルス初優勝を果たした。続く全豪オープンでは、シード選手の1人だったジル・シモン(フランス)の直前欠場により、繰り上げで「第33シード」を与えられ、そこから4回戦まで勝ち進んだ。前年度の全米オープンに続く2大会連続の進出となった4回戦では、第5シードのアンディ・マレー(イギリス)に 6-7(4-7), 3-6, 2-6 のストレートで敗退した。