玉置浩二が青田典子と結婚「一緒に生きていこうだよ」に青田も呼応し、「『はい、ずっと一緒にいましょう』」

16日に北海道・旭川市電撃入籍したロックバンド安全地帯ボーカル玉置浩二(51)と元C・C・ガールズタレント青田典子(42)が17日、日航機で帰京した。羽田空港に殺到した報道陣を前に、2人は仲良く手をつないで登場。玉置は結婚の喜びを自身の名曲例え、「悲しみにさよなら。死ぬまで一緒です」と表現。青田も玉置に寄り添いながら「幸せになります」とラブラブオーラ全開だった。



 「今の心境? 『泣かないで一人で…あなたのそばにいるから』かな」



 “お騒がせ”の末につかんだ幸せを玉置は、1985年の名曲「悲しみにさよなら」の歌詞に例えた。



 故郷、旭川での電撃入籍から一夜明けた17日午後3時過ぎ、2人は今年の最高気温32・1度を記録した東京に“アツアツ”で帰ってきた。



 メタリック柄のキャップにサングラスの玉置、一方の青田もサングラスをかけ、ターバンにスカート&スパッツ姿で空港の到着ロービーに登場。約20人の報道陣から一斉に「おめでとうございます!」の声が飛ぶと、玉置は左手をあげて応えた。



 16日に入籍した理由について「別にないよ」と照れていたが、プロポーズの言葉を聞かれ、「一緒に生きていこうだよ」と即答。青田も呼応し、「『はい、ずっと一緒にいましょう』と答えました」と告白した。

玉置はこれまで女優、薬師丸ひろこ(46)ら3人の女性と入籍。昨秋に破局した女優、石原真理(46)との事実婚を含めると今回は5度目の結婚となる。



 5月に成田空港で初めて青田とのツーショットを披露した際、玉置は「絶対に別れない。男に二言はない」と宣言。その言葉を報道陣から再び問われると「二言? ないっす。死ぬまで一緒です」と力を込めた。



 16日に2人で旭川実家も訪れており、玉置の両親と兄夫婦に結婚を報告。玉置は「両親も喜んでました」。青田も「これからもお願いしますとあいさつしました」と明かした。青田は芸能活動を休業して安全地帯のツアーに帯同しており、15日の三重・津公演から18日の名古屋公演まで2日休日があったことから、2人はスタッフにも内緒で入籍を決意し、旭川に飛んでいた。



 5月の成田空港で玉置の「SEXしてる」発言が物議を醸し出したが、旭川の夜については青田と見つめ合い、「いつものように…ね〜ね〜」とニタニタ。青田は妊娠していないが、玉置は「2人は欲しい」と子作りに励むことも誓った。


★青田 典子(あおた のりこ、1967年10月7日 - )は、日本のお笑いタレント、女優。本名:玉置 典子(たまき のりこ、旧姓森田(もりた))。1990年代には、アイドルグループC.C.ガールズ」のメンバーとして活動した。なお、以前は、1969年10月7日生まれとしていた。

出身地 愛媛県 松山市

血液型 O型(Rh+)

公称サイズ(1995年時点)

身長 / 体重 164 cm / ― kg

スリーサイズ バスト 88 - ウエスト58 - ヒップ85 cm

ブラのサイズ F カップ

靴のサイズ 23.5 cm



所属事務所はオスカープロモーション。 夫は、安全地帯の玉置浩二



略歴

東京都立八王子東高等学校卒業。戸板女子短期大学中退



1990年にオスカーが主催したコンテスト「日本美人大賞」準グランプリ。その後1991年に同コンテストの上位入賞者で結成されたC.C.ガールズの初代メンバーに選ばれる。当時の愛称は「てんこ」(メンバーに同じ「のりこ」である原田徳子がいたため)。同年日本テレビ音楽祭新人賞、1993年にはゴールデン・アロー賞グラフ賞、1994年には「JAL沖縄キャンペーンガール」、1995年にはハット(帽子)グランプリ特別賞を受賞した。



1998年にC.C.ガールズを卒業後はソロでの女優・タレント活動を開始。映画・Vシネマのヒロインクラスの役を務めるほか、バラエティーのMCなど幅広く活躍。



ちなみにC.C.ガールズデビュー前は本名の「森田典子」として、フジテレビ深夜番組オールナイトフジ』にレギュラー出演しており、当時はモデルコンパニオン構成される“シーエックス”というグループのメンバーで、ビキニ姿で垢すり中に乳首ポロリするお宝場面がある。また、1986年から1987年にかけ、『BUNTA』、『月刊プレイボーイ』誌上にて、「森陽子」としてヌードグラビアも披露している。



2004年頃から、「結婚を諦めて」(本人談)なりふり構わず仕事の幅を広げ、バラエティ番組ロンドンハーツ』に出演。「格付けしあう女たち」のコーナーで、そのキャラクターから「L'amant(ラマン)青田」「バブル青田」と呼ばれ人気になり、2005年冬スペシャルでは、バブル代表する画家、ラッセンヌードの絵を描いてもらった。 また同コーナーの中の決めゼリフ「ジーザス・クライストJesus Christ)♥」が大爆笑をとりブレイク。 さらに、同番組の企画で、小室哲哉の楽曲提供を受け、「バブル青田」の名で「ジーザス」というタイトルで2006年4月19日にCDデビュー。この企画の一部始終は同年4月11日の『ロンドンハーツスペシャル』で放送された。
女性セブン』2007年5月31日号で1歳年下の実業家との2004年11月〜2005年10月までの結婚歴があることが報道された。



ロンドンハーツ』などのバラエティに出てからは連続ドラマ出演が極端に少なかったが、2007年4月から『孤独の賭け〜愛しき人よ〜』、『地獄の沙汰もヨメ次第』(共にTBSテレビ)、『ドリーム☆アゲイン』(日本テレビ)と3クール連続で出演している。



エピソード

バブルお立ち台時代

本人が番組で語ったところによれば、「遊ぶことが仕事だった」生活を送っており、毎日のようにディスコに通い、VIPルームに出入りしていた。当時はVIP客からもらうタクシー代10万円だけで生活していたという。一晩で1000万円を積まれたこともあるとも。



バブル青田 [編集]

バブル青田」とは、彼女の歌手としての別名。青田は元々歌手志望だったが、C.C.ガールズ時代にリリースした曲(初期は「D.D.GAPS」のユニット名でリリース)はヒットしなかった。そこでロンブー田村淳が『ロンドンハーツ』(以下『ロンハー』)で青田を「バブル青田」としてソロCDデビューさせようと企画。プロデューサーは、淳と同じ吉本興業所属(当時)で、青田自身も大好きという小室哲哉だった。



…というのが一連の流れとなっているのだが、実際の所は淳も含めた番組サイドからのブッキングではなく、小室側から出た企画とも(番組内で「小室さんから声がかからなかったら実現しなかった」との発言有り)。



小室は全盛期だった1997年(後に1996年に訂正)の未発表曲を提供。作詞は、青田のカラオケ十八番Chase the Chance』(歌・安室奈美恵)を作詞した前田たかひろ。タイトルは、前述の『ジーザス』がそのままタイトルになった。



青田はカラオケBOXで練習をしたり、カウンターテナー米良美一などからボイストレーニングを受け、レコーディングに挑んだ。



CDデビュー会見で『ロンハー』メンバーに初めて報告。またそこで同じ日に『ロンハー』で共演している熊田曜子もCDデビューすることが分かり、二人は一週間後の『オリコン売り上げ記録で勝負し、負ければ故郷で『ジーザス』を披露することに(結果、青田が12位、熊田が15位となり、熊田が自らの故郷・岐阜で披露)。さらに、幕張メッセでデビューライブを行うことも通達された。



振り付けTRFのSAM、ETSU、CHIHARUが担当。ダンスレッスンを受け、ジュリアナ時代に流行した“ジュリ扇”を使ったダンス完成した。曲の最後の決めポーズは「イナバウアー」ならぬ「イナバブル」。



ライブに向け青木さやかと同じケビン山崎ジムで体を絞り、ウエストを68cmから60cmにしダイエットも成功。9000万円の費用を投じた幕張メッセステージは見事成功。そこでCDジャケットが披露されたが、ジャケット撮影の時間がなかったため青田の運転免許証の写真(スッピン顔)が使われた。



『ロンハー』共演者青木さやかは『ジーザス』がお気に入りと公言している。



既婚バツイチ経験・再婚 [編集]

2004年11月に結婚し、翌年の10月には離婚していた。事務所側が当時の青田の状況を考えると、それほどのものではないと考えていた為、報告が先延ばしになってしまったのだという。「負け犬キャラで仕事をとっていたが実際は(すぐ離婚していたとはいえ、今も関係が続いている事を考慮すれば)「勝ち組」だった。いまでも離婚相手とはお互いの家を行き来する「恋人状態」だと暴露し、本人は記者会見で涙を流した。



2007年5月22日放送の『ロンドンハーツ』で、記者会見後に田村淳、青木さやか光浦靖子国生さゆり杉田かおるらとワインを飲みながら、今回の報道に関して、語り合う場面が放送された。『ロンドンハーツ』初登場の2003年は、交際をしておらず、格付け初登場の翌月に結婚した。そのため、杉田かおるよりも先に結婚したことになる。また、大爆笑をとった「ジーザス」を言った時にはすでに離婚していた。その後2010年5月に安全地帯玉置浩二との交際が発覚したが、彼を献身的に支えたいという青田の意向からか、6月から活動を休止した。



2010年7月に安全地帯の玉置浩二と再婚。



その他

2007年12月11日放送の『ロンドンハーツ』(『格付けしあう女たち)で、「ひともんちゃく」と言いたかったところを「イチモツ」と言ってしまった。それまで勘違いをしていたらしい。これは番組内で「TV史上に残る珍事」だとされ[1]、「イチモツ青田」との命名がされた。



故・飯島夏樹(プロウィンドサーファー)は高校の同級生だった。