「踊り手は肉体ありき」と草刈民代がインタビューに答える

踊り手は肉体ありき



 昨年、36年間のバレリーナ人生に終止符を打ち、女優として再スタートを切った。大胆なヌードが話題を呼んだ写真集の発刊も記憶に新しい。そう、人生のチャレンジに年齢は関係ない。気持ちは常に新しく、前へ前へ…。

BALLERINE

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 −−あの写真集は衝撃的でしたね




 草刈 そうですか? もし本当に(世間が)そういう評価をしてくださったならうれしいですね。バレエは踊ったその瞬間になくなってしまうけど、本なら残るでしょう。『草刈民代』がどういうダンサーだったか? 踊り手とは何ぞや?を表現したかったのです。バレエを辞めると決めたころから、撮りためていた写真を自分で選び、出版社に持ち込みました。「いまやらなきゃ、取り返しがつかない」という気持ちでしたね。



 −−意外ですね。出版社側からのオファー(申し出)じゃなかったんですか?



 草刈 バレエの写真集なんてどこの出版社も企画しませんよ(苦笑)。だから、一般の方にも関心を持ってもらえるように、スタジオと舞台上との両方で撮った写真を使いました。ヌードも入っていますが、いわゆる「ヌード写真集」とも違う。なぜ裸か?と問われれば、それは、「踊り手は肉体ありきだから」。「肉体」と「精神」とを分けた上で、生身の肉体を写真にし、ダンサーをどう表現するか、というイメージですね。自分の中で、そういうはっきりした方向性がありました。



 −−「すべてをさらけ出さなければ、人を感動させることは、できない。」というキャッチコピー宣伝文句)も面白かった

草刈 うーん、あれは出版社が考えたもので…私は「自分をさらけ出した」とは思っていません。ただ、“裸で写真を撮っただけ”です。表現者として、それぐらいの“ずぶとさ”がなければ、人前では踊れないし、「覚悟」が必要なぐらいだったら最初からやってません。もちろん、裸をさらすのですから、世間にはいろんな見方をする方がいらっしゃるでしょう? そういう意味での「覚悟」はありましたけど。



 −−(NHK大河ドラマ龍馬伝』で共演中の)福山雅治さんも絶賛されたそうですね



 草刈 福山さんは写真が好きでご自身でも、お撮りになる。写真集のことを自分のラジオ番組で話題にしてくださったのを聴いておりまして、私が一般投稿者として番組に「ありがとう」のメールを送ったら、今度は私がその番組にゲスト出演することになって…なかなか面白い展開になりました。(写真集を出したことで)バレエを見慣れている方だけでなく、見慣れていない方にも私がやってきたことをくみ取っていただけたのなら、うれしいことですね。



 −−写真集に限らずバレエを辞めてから、女優としてどんどん新しいことに挑戦していますね。「楽しみ」半分、「不安」半分といったところですか



 草刈 「慣れていない」という面はあるけれど、新しいものを何でもやってみたい、(挑戦を)楽しんでいるという感じですね。バレエを36年間やってきて、「プレッシャー」「負担」というものはさんざん経験してきましたから…。(女優もバレエも)表現するという点では変わりがありません。



 −−『Shall we ダンス?』のころから女優に関心があった?



 草刈 とんでもない(苦笑)。あの映画はダンサーの役だからできたのです。他の役なら、とてもじゃないけど無理だろう、女優には向かない、とさえ思っていましたね。もちろん、それ以前に、当時は、まだまだバリバリ踊れていたころですから、(女優より)踊るほうがずっと大事だったのです。



 −−では今回はなぜ女優に?

草刈 バレエを辞めて、「何ができるか」と問いかけたとき、これまでバレエで身につけてきたことを「芝居に生かせるのではないか」という気持ちがふつふつとわいてきました。主人(周防正行監督)の影響も大きいでしょうね。もし結婚していなかったら、バレエしか考えられなかったかもしれません。



(中)夫との仕事は楽しい

草刈民代



 くさかり・たみよ 昭和40(1965)年、東京都出身。45歳。8歳でバレエを始め、16歳から牧阿佐美バレヱ団に入団。日本を代表するバレリーナとして国内外で活躍する。平成8年、映画『Shall we ダンス?』に出演。監督を務めた周防正行氏と結婚した。21年バレリーナを引退し、女優に転身。新作の舞台『ビリーバー』は9月3日から東京・世田谷パブリックシアターで。大阪公演は同月中旬梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで。