30歳の萩原智子(山梨学院職員)が、「日本の自由形はレベルが低いので世界に近づけないと」と決意を新たにスマイル?

04年に引退し、昨年6月に現役復帰したシドニー五輪女子200メートル背泳ぎ4位の萩原智子山梨学院職員)は自由形の50、100メートルに出場する。6年ぶりの大会にもハギトモは、「自然に臨めるかな」と気負いがない。13日は30歳の誕生日で、「たくさんの人におめでとうと言われました」と笑顔を見せ、「日本の自由形レベルが低いので世界に近づけないと」と決意を新たにした。




華麗なる萩原智子のスマイル泳法 youtube

萩原智子(はぎわら ともこ、本名:佐藤 智子、1980年4月13日 - )は、日本の水泳選手。背泳ぎを中心に自由形個人メドレーも手掛ける。「いつも笑顔で」をモットーに、水泳ファンからは「ハギトモ」の愛称でも親しまれている。



テレビ神奈川アナウンサーの佐藤亜樹は夫の妹で、テレビ山梨アナウンサーの小嶋優は姉の夫。







経歴

大阪府生まれ、山梨県育ち。身長180.6cmで、本人曰く「現在も身長が伸びている」との事。



学生時代まで・シドニー五輪代表

中学3年になった1995年、全日本ジュニアチームのメンバーに選ばれる。



翌1996年に山梨学院大学附属高等学校入学。在学中は3年連続でインターハイに出場し、200m背泳ぎで3連覇。1998年のアジア大会では100m、200mの背泳ぎ、並びに400mメドレーリレーの3冠を達成した。1999年に卒業後は学内制度により母系の山梨学院大学へ進学した。これにより現在に至るまで同大学を活動の拠点とする。



入学した年にパンパシフィック水泳選手権200m背泳ぎで金メダルを獲得。翌2000年に行われるシドニーオリンピックテスト大会だったこともあり、大きく期待されていた。



その2000年9月のシドニー五輪本番のレースは、200m背泳ぎでは4位入賞、200m個人メドレーでは8位入賞に留まり、共に惜しくも五輪メダル獲得はならなかった。だが、萩原の活動が評価され、大学が新たに建設した屋内プールは「シドニー記念水泳場」と命名された。



3年生になった2001年、福岡市で開かれた世界選手権では、800m自由形リレーのメンバーに選ばれ、銅メダルを獲得。



4年生になった2002年、日本選手権で200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレー、100m自由形での史上初となる個人4冠を達成。このことが、彼女の水泳人生を大きく狂わせることになった。



横浜市で開かれたパンパシフィック水泳では200m個人メドレーで金メダルを獲得したが、日本選手権優勝多数により多くの種目にエントリーした強行日程が祟り、大会中過呼吸を3度発症し、200m背泳ぎ決勝レースを棄権した。釜山アジア大会代表にも選ばれていたが、これも辞退。結局、満足な結果を残すことができずに、大学生活を終えることとなった。



大学院時代・一時引退後

2003年、競技生活を続けるため山梨学院大学の大学院社会科学研究科修士課程に進んだものの、その年は翌年に五輪を控えていたこともあり、静養のため殆どレースに出場しなかった。しかし、9月に“お隣”静岡県で行われたNEW!!わかふじ国体には山梨県選手団の一員としてエントリー。200m個人メドレー年女子の部で大会記録を更新、復活の優勝を果たした。



2004年、アテネオリンピック出場を目指して、この年の日本選手権に全てをかけたが、50m自由形では優勝しながらも派遣標準記録の25秒30にわずか0.32秒足りず、また100m自由形も派遣記録に届かず2位となり、2大会連続の五輪代表を逃した。その直後、一旦現役を引退する事を表明した。なお、100m自由形日本記録は、2009年現在でも残っている。



大学院修了後も職員の形で引き続き学校法人山梨学院に残り、今に至る。社会人となった2005年4月から1年間、地元山放送のスポーツコメンテーターとして、『山日YBSワイドニュース』(現在の『YBSワイドニュース』、テレビ)、『YBSニュース深夜便』、『YBSニュース・アップ!』(ラジオ)の「ハギトモSmile Sports」というコーナーに出演していた。また、『ワイドニュース』では萩原自身もスタジオ出演していた。



山梨放送出演時から世界選手権テレビ朝日系列中継でスタジオ解説を務めたほか、『GET SPORTS』ではさまざまなスポーツ選手取材している。そこで知り合った8歳年上の佐藤一ディレクターと2006年10月結婚。以後は東京と山梨を行ったり来たりする生活となる。



2007年2月、第1回大会だった東京マラソン2007の10kmレースに初挑戦。翌2008年の第2回東京マラソン2008は自身初のフルマラソンに挑戦、6時間30分41秒のタイムで完走を果たしている。翌2009年の第3回東京マラソン2009では、家族と共に10Kmレースに参加した。



現役復帰

2009年6月、競泳選手として5年ぶりに現役復帰することを表明、山梨県水泳連盟に「学校法人山梨学院職員」として選手登録した(略称は「山梨学院」)。復帰戦となった日本実業団大会山梨予選では、100メートル自由形短水路)で自己ベストに0秒54と迫る54秒49をマーク。これにより2010年の日本選手権出場資格も得た。2012年のロンドンオリンピック出場を見据えて、12年振りの五輪日本代表入りを目指している。



主な記録

距離 タイム 大会名

個人メドレー200m 2:12.84 2000年日本選手権

自由形100m(長水路) 54.97 2002年パンパシフィック選手権

自由形100m(短水路) 53.95 2004年関東学生冬季公認記録会

自由形200m(短水路) 1:56.58 2002年短水路日本選手権

背泳ぎ50m(高校短水路記録) 28.06 1998年香川県招待スプリント選手権大会



シドニー五輪

200m背泳ぎ 4位入賞 決勝2:11.21 準決勝2:11.02

200m個人メドレー 8位入賞 決勝2:15.64 準決勝2:15.09

著書

『ハギトモ「いつも笑顔で」』(ベースボール・マガジン社、2006年)

外部リンク

萩原智子のいつも笑顔で……(公式ブログサイト)

中高生部活マガジン(第十参話・萩原智子